Eternal childhood

すぅーーーーはぁーーーー

出会い

 

日本に1月24日に戻りました。

 

帰りの機内で出会った映画、

 

「黒い司法0%からの奇跡」が

 

今も時々心に蘇らせています。

 

www.cinemacafe.net

 

 

行動しないと、

 

自分が錆びていくように感じられて、

 

焦りつつも、でも待つ時も必要で、

 

 

今は体力と気力を養います。

 

そして気力を養ってくれるものにまた出会いました。

 

こちらの本んです。

 

www.amazon.co.jp

 

去年初めて行った素敵な本屋さん、

 

エホンゴホン堂という、なんとも可愛らしい本屋さんで

 

夫が帰る直前に見つけてくれた本。

 

「いのちを呼び覚ますもの」

 

そして、

 

「いのちは のちの いのちへ」

 

言葉にできたらいいのだけど、

 

出会えた感動を、うまく言葉にできません、汗。

 

 

ごめんなさい。

 

でも、読み終えるのが寂しくなる本です。

 

 

言葉の一つ一つから伝わる、著者の思いが、

 

ぽとんぽとん と 心に落ちて波紋が優しく広がる感じです。

 

 

ルドルフ・シュタイナーの著書を人間の言葉に翻訳した感じ?

 

シュタイナーももちろん、人間ですが、笑。

 

映画と本、出会いを心の奥にしまって、

 

 

出発です!

 

読んでくださって、いつもありがとうございます。 

はじまり

 

 

 

明けましておめでとうございます。

 

虹を見るたび、

 

普段は見えないけれど、

 

本当はこんな綺麗な色たちに囲まれてるんだ、と感じます。

 

 

 

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2020 Dec 27

 

雨粒と光のコラボレーション。

 

2020年の12月12日にハワイに戻りました。

10年過ごした家を離れるのは寂しいけれど、

 

掃除をしてお別れできてよかった。

 

 

 

いろんな思いに囲まれているけど、

 

自分に沿った道をしっかり歩いていこうと思います。

 

 

今朝もサーフィンに行ってきました。

 

いい波でしたぁ〜。

 

 

 

 

久しぶりに、

 

シュタイナー関連の本を読みました。

 

少し予感があって隣の町の図書館に行くと、

 

想像以上に沢山あって、

 

 

更に、

 

今まで出会ったことのなかったシュタイナー教育の本に出会えて、

 

ぴょん、と飛び跳ねそうだった。

 

 

広い6人がけの机はコロナのため、2人しか使用できないようになっていて、

 

ゆったりと本を広げて、途中眠り学習?も入れつつ😅、

 

シュタイナー教育についての新しい視点を読むことができました。

 

しかし何より図書館にあんなにシュタイナー教育関連の本があったことが、

 

 

嬉しかった。

 

しかもてぃ先生の著書も思いがけず見つけて、読んで、

 

 

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子どものオモシロサにいっぱい出会えます

 

 

 

子どもとの関わりがほとんど出来なくなった今、

 

 

子どもと過ごしたい、と心が欲していることをまざまざと味わいました🥲。

 

 

シュタイナー教育と子どもの存在を

 

 

再確認できた土曜日でした🤗

 

 

 

 

 

少し訂正

 

前回の記事「私の中の原則」は、

 

少し硬くて、火照ってて、わかりにくかったですね。

 

 

夜書いたのが原因かもです、テレ。

 

 

ただ子どもと関わる時の私の中の柱の一つです。

 

 

 

、、、もとい、

 

いくつもある柱というより、

 

「子どもは神聖な存在である」(前回の記事の内容です)

 

という幹があって、

 

 

そこからいくつかの枝が生えている、という感じです。

 

 

 

唐突ですが、

 

私は以前恐怖や不安から解放されたい、と思った時、

 

 

じゃどんなことになったら恐怖だったり不安なのか?

 

そして

 

そうことが起きたらどう対処すればいいのかをあらかじめ考えておこうと、

 

幾つかリストアップして、その解決法を自分なりに考えてみたところ、

 

シンプルにいうとこうなりました。

 

 

 

人生は、

 

「経験する」ためにある、

 

というところに落ち着きました。

 

 

例えば明日事故で目が見えなくなってしまったら、

 

目が見えない人の気持ちがわかる、

目が見えないという経験ができる、

もしかしたら新しい能力が開発されるかもしれない、

 

と思うと不安や恐怖はなくなりました。

 

 

例えば片足を失ったら、

 

例えば失恋をしたら、

 

それらも同様でした。

 

するとそういった不安から解放されて、

自分の望むことに集中できるようになりました。

 

 

また唐突に聞こえますが、、

 

私は14歳の時に兄を交通事故で失くしました。

 

そして16歳の時に同級生をやはり事故で失くしました。

 

 

二つの出来事は本当に突然のことで、

 

当時の私にはよく理解できていなかったのですが、

 

 

朝元気だった人が突然目の前からいなくなる可能性はいつでもある、

という思いは年々強くなりました。

 

 

そこからどう子どもと関係があるかというと、

 

 

子ども達も様々なことを経験したくて、

 

毎朝一点の曇りもない心で起きて、

目の前のことに夢中になり、

自分の心と身体を使って経験し、

 

新しい情報を無意識と意識、両方の領域にインプットしていきます。

 

 

小さければ小さいほど、

 

意識の領域は少なく、

 

その分ブロッックができないため、

 

ほぼ得た経験は無意識の領域にいきます。

 

 

 

 

つまり無意識の領域にいった部分というのは、

 

幼い頃に意識というフィルターがない頃に作られます。

 

幼い子どもは判断をしません。

 

大人のもつ良い悪いの判断はありません。

 

 

ただ彼らは深いところで自分の判断を持っています。

 

それはまだ生まれる前の名残、

 

身体を得る前にいた領域での判断です。

 

だから子どもは神聖な輝きを持っていて、

だから大人は無条件に彼らに惹きつけられるんだと思います。

 

 

カール・クーニッヒが、言っています。

 

子ども達は私たちが長い間帰りたいと恋焦がれる場所へ帰るための水先案内人です、

 

と。

 

 

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ちょっと「星の王子さま」の内容にどこか似ている気がします。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

私の中の原則

これから何回かに分けて、

 

私の中であまりにもしっかり根付いてしまっている思いを書いていこう、

 

と、

 

 

ふと昨日の朝ジョギングをしている時に思いつきました。

 

 

根付いている思いというのは、

 

 

 

 

子どもは神聖な存在、

 

 

という思いです。

 

 

 

これは本当にどの子にもあるもので、子ども達に会うたびにいつも感じます。

 

 

2011年、幼児教育に初めて携わってから、

 

 

大体今まで500人以上の子供達に会いました。

 

 

 

正直に言います。

 

 

 

 

子どもに教えるどころか、教わっています。

 

 

 

それもとても大切な領域を。

 

 

彼らのどんな行動にも真っ当な理由、あるいは神聖な理由があります。

 

 

 

 

とにかく彼らの動きは大人が太刀打ちできないほど美しい心から生まれていて、

 

 

それはどうしようもないくらい本当のことなのです。

 

 

 

でも多くの場合彼らの思いや行動は大人に誤解され、

 

 

謂れの無い叱責を受けて、

 

 

 

だから子どもによって量の差はあるけれど、ストレスを受けています。

 

 

私たちにできることは、

 

 

 

教える、ではないのです。

 

 

 

ただ彼らを見守ること、

 

これが精一杯。

 

 

もう一つ言えるとすれば、

 

 

彼らが彼らを見失わないように過ごせる時間と環境を作ること。

 

 

 

作り物ではなく、生きている物のいる空間で、

 

 

 

つまり自然の中です。

 

 

散歩で公園などの自然の中にいて喧嘩するのを見たことありません。

 

 

私は時々木と話をしますが、

 

 

木は子どもの持つ神聖さや温かさというのか美しさ、をわかっていて、

 

 

子どもが来ると本当に嬉しそうです。

 

 

そしてその思いを子どもも受け取っていると思います。

 

 

 

子どもの美しさを損なわないようにするためには、

 

 

大人は彼らになるべく関わらない、笑。

 

 

しかしこれに限る。

 

 

 

だからシュタイナー教育では先生はなるべく子どもの世界に加わらない、

 

 

が原則。

 

 

 

子どもが自分の身体と心をのびのびと一致させていけるような

 

 

環境を整える、

 

 

ここに重きを置いています。

 

 

次回は、

 

どうして子どもはそんなに神聖なのか!?

 

について書いてみます。

 

 

 

来月のお話の会は、

 

ハンス・クリスチャン・アンデルセン著

 

 

「小さいイーダちゃんの花」

 

 

にします。

 

 

 

 

花が萎れて悲しんでいるイーダちゃんに、学生さんはこう言いました。

 

「おやおや、イーダちゃんは知らないの? このかわいい花たち、きのうの夜、舞踏会へ行っ

たんだよ。だからぐったりしてるんだ」

 

 

こんな学生さんの語りかけ、で始まります。

 

 

この学生さんはアンデルセン本人で、イーダちゃんも本当に存在していた女の子だそうです。

 

学生さんの声のトーン、イーダちゃんの語り方、

 

お花たちのダンスの場面、

 

どう表そう?、、、ドキドキ。

 

 

 

以前このお話をオレゴンの日本語イマージョンスクールの子どもたちに

 

 

ストーリーテリングした事があって、

 

 

でも2枚、絵を描いて使いました。

 

(イマージョンスクールは外国語で教科を学ぶ学校です。 この学校は英語が母国語の子供たちが日本語で算数など他教科を学んでいます。)

 

 

下はその時に使ったもので、今回もこの絵を使おうと思っています。

 

 

 

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「小さいイーダちゃんの花」にかわおじさんの作品を模写させて戴きました。

hebonikawan.jugem.jp

 

 

にかわおじさんの絵はどれも幻想的で素晴らしいです。

 

検索していて見つけた時は、これだ!と思い、

 

四苦八苦して描きました。 もちろん本物にはほど遠いのです。

 

 

 

今回は年齢が0歳児〜3歳児、

 

 

後2枚、描く予定です。

 

 

ダイジョーブ、ダイジョーブ、

 

 

 

 

 

YouTubeで、

こんにちは!

 

昨日一昨日と二日間も暖かい日になりましたが、

 

今日は秋晴れで青空が広がる1日でしたが、

 

 

風はしっかり冷たく空気はすっかり冬の顔を覗かせていました。

 

 

そんな中、「どんぐりと山猫」の人形劇を録画してもらいました。

 

少し、、心残りの感がありますが、

 

 

公開してしまいます!

 

 

youtu.be2020年11月9日

 

カメラワークはバッチリです。

 

このブログに訪ねてくださり、

 

 

本当にいつもありがとうございます。

10分ぐらいの動画です。

 

秋の風、吹いています🍂